なるこの夢ばかり

ナルコレプシーです。家族みんなadhdです。リア充のために本音はここに置いていきます。

世界エイズデーに寄せて。

12月1日、世界エイズデー

今日はいろんなことを思う日。

いろんな人を思い出す日。

 

大学の地域の研究で、小学生のエイズ教育をテーマにした私たちに、オブザーバーが言った言葉。

エイズの人の気持ちを知りたければ、エイズ検査をまず受けて来なさい。」

当時私は20歳。

一緒に研究する子たちと3人で、保健所に行った。
1人ずつ部屋に呼ばれ、色々聞かれ、採血。暗い部屋で、言葉が淡々としてて、肩の力が抜けなかった。

結果は、3週間後。

3人とも、その期間、エイズ検査の話題に触れなかった。
私は、多分、検査のことは「考えないように」してたような気がする。


3週間後、また保健所へ。バス停からの歩く道が遠かった。
1人ずつ部屋に呼ばれ、封筒とハサミを渡され、
「今ここで切って結果を見てください。」
と言われた。

部屋に夕陽が射していたことも、その封筒がオレンジ色だったことも、はっきり覚えている。

 

あれから20年。

保健所のHIV検査は迅速検査が多くなって、40分で結果が出るようになった。

生きた心地がしない期間は、3週間から40分に短縮された。

 

私も、いろんな年代の学生さんにHIVの話ができる仕事に就き、20年前に言われたことと、同じことを言っている。

「まず、検査に行ってみて。」

 

注意)私の知っている今のエイズ検査は、昔のように、固いものではなく、素敵な音楽の流れる部屋で、今の時期ならレッドリボンのクリスマスツリーが、飾ってあったりする、気軽な空間も多いと思います。

 

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最近うざい言葉ランキング

 

5位  繋がり

4位  勇気(づけ)

3位  出会い

2位  気づき

1位  学び

 

アドラーが嫌いなわけじゃない。

その言葉を使ってる友人たちが嫌なわけじゃない。むしろ大好きな人ばかり。

でも、言葉がひとり歩きしてて、「きさんがゆうと?」みたいな人が、世の中に多すぎる(棘のある言葉は博多弁でオブラート)。

平和やよねー、そんなんばっかりで生きてる人。

私も、平和ボケしたリア充Facebookを書いてるけどさ、もしあれが私の全てだとしたら、私はお花畑で生きてるよね。

血と汗と何が混ざってるかわからない体液、腐ったコンビニ弁当と悪臭、菌とウイルスとワクチンと化学物質、暴力と悲鳴、吐瀉物、排泄物、悲しみと枯れ果てた涙、悲しみすらも感じない心、火傷と凍傷、欲望、妬み、恨み、埃の山、貧困、腐敗、猜疑心、自己否定、依存、アディクション、性愛、かすかな希望もないという事実を認めること、

それが、私の住むもうひとつの世界。

その凄まじさと均衡を取って生きるためには、穏やかで平和な部分も必要。

 

平和で穏やかなだけでは生きられない、私の業。

それだって、私を構成する大事な部分。

人間の汚い部分を全部背負っても、上の5つを言える人が、イエス・キリストなわけだから、人間には到底達せられないものだから、私だってそうなれるわけではないけど、

汚い部分を否定するだけの人にはなりたくないと思ってる。それでも、「それでいい、あなたはあなたのままがいい」と言える側の仕事ができる人のままでいたい。

 

ドブの底から這い上がってきて生きてる私の存在価値を、そこにばかり求めてしまう癖は治したいと思って、不気味なくらいポジティブなFacebookを更新し続けてしまうけれども。

混沌としているのが私。明るく極楽とんぼに見えて、ごちゃごちゃしすぎてる、多分きっと、それでちょうどいい。

 

夢の叶え方。数打ちゃ当たる。

ナルコレプシーの私は、毎日が夢との戦いの日々。しかも、悪夢。最近は怖いというより、不快な夢だったり、すっごく疲れる夢だったり、そういう夢が多い。一晩中、そんな夢と追いかけっこしているのだから、眠ることは疲れること。最近は夢に疲れて朝四時起床し、お風呂に入って中で寝る。早起きしてるから、夜は9時前に寝る。だから早く目がさめる、悪循環。まいがー。

 

最近、私のリアル世界Facebookで、夢の叶え方を話題にしてる友人がたくさんいる。私っていつのまにか、夢叶っちゃってたタイプだなー、別になんの努力もしてないし、カーネギーみたいにマインドに訴えてたわけでもないし、どうして叶ってるのかなー、と考えてて、結論が出た。今日はそっちの夢の話。

 

私は、将来の夢が、なかった。

「将来の夢を書きなさい」という、幼稚園の卒アル、何も思いつかず、隣の子と同じ「お花屋さんになりたいです」と書いたけど、別に全然なりたくなかった。興味もなかった。

小学校4年生の時に同じ課題で作文書かされ、なりたい職業なんか何一つ思いつかなかった私は「お嫁さんになりたい」と書いたら、担任の先生に書き直しを命ぜられた。

今思えば、お父さんが毎日会社に行って帰ってきて、お母さんが朝ご飯を作って「おかえり」も言ってくれて、たくさんの子どもがいて賑やかで暖かい、仲良しの普通の家庭を築きたい、っていう、複雑な貧乏家庭に育った私だったからこそ思った、当たり前の家庭を作りたいっていう、悲願だったんだと思う。でも当時の私はそんな事意識してなかったし、説明できるわけもない。

仕方なく捻り出した作文は、担任の先生に絶賛された。こんな作文を書く子どもは出会ったことがないと。なりたいもののなかった私は、苦悩の末に、「学級委員に推薦されるような人になりたい」と書いたのだ。

 

そもそも専業主婦になりたい私に、なりたい職業なんてなかった。でも、やってみたいことは、たくさんあった。飽きっぽいけど、好奇心だけは旺盛だ。

歌をもっとうまく歌えるようになりたい、人前で歌いたい、毎日歌って暮らしたい、音楽と共に生きたい、

文章を書くのが好き、毎日書いていたい、たくさんの人に読んで欲しい、本の中に埋もれていたい、ありとあらゆる本が手に届くところにあるように並べたい、

きれいになりたい、可愛いと言われたい、何歳になっても可愛くいたい、フリフリでふわふわでいたい、ピンク似合うねって言われたい、薔薇とピンクに囲まれて暮らしたい、

思春期の子どもたちに性教育をしたい、親身になって思春期の子に寄り添いたい、いろんなジェンダーの友達が欲しい、性って素敵、人生のテーマにしたい、

たくさん恋をしたい、素敵な恋も、辛い恋も、幸せな時間も、寂しい時間も全部自分のものにしたい、本当の幸せの姿、グリザベラが見たもの、私も見たい、

白衣の天使になってみたい、いろんな制服を着てみたい、お嬢様になりたい、先生と呼ばれてみたい、人前で話すことが好き、かっこよく話したい、優しく弱い人に寄り添いたい、

お料理上手になりたい、料理のうまい奥さんになりたい、お菓子が作れるお母さんになりたい、カッコいい女性になりたい、可愛い女になりたい、

自分で自分を大好きだと思って生きたい、私って幸せだと思って生きたい、

 

書ききれない。

私の夢、多すぎる。

しかも漠然としすぎてる。

でも、今ここに書いたことは、みんな叶った夢ばかり。あ、専業主婦以外(笑)

 

叶ってない夢もある。NHKの歌のお姉さんにはなれなかった。音大にも行けなかったし、ピアノも下手くそ。劇団四季は観る専門の上に、経済的にそんなにチケット買えないし、普段着がお姫様ドレスでもない。中学の卒アルに書いたのは、「歌って踊れるナースになって、インドで芥川賞を取る」。前半はとうに叶えてしまったけど、後半の目処が立たない。芥川賞よりも、高所恐怖症の私にとっては、飛行機でインドに行く方が遠い夢に感じるくらい。そして何より、まだ福岡に帰れていない。帰れる気配もない。福岡弁はどんどん下手になる。

 

夢だって、数打ちゃ当たる、それだけ。

やりたいこと、やってみたいこと、なりたいと思える自分、環境、体験、人物像、趣味、嗜好、イメージ、それをたくさん持っていれば持っているほど、夢はたくさん叶う。絶対数勝利。

叶わなかった夢も、実は一部叶っていたりする。キャッツのキャストに選ばれてはいないけど、全部の歌を今でも歌えるよ。心は猫で生きてるよ。それが心の支えだし、私の中の一本の柱。YouTubeには猫メイクのやり方の動画たくさんあるし、本革の猫耳も持ってるし、いつだって猫になれる。

「叶わなかったこと」を数えずにポジティブに幸せを感じて生きていく、それだって私が思い描いた将来の私の理想とする生き方。ほら、叶ってる。

 

どうやって楽しく生きるか。

どうすれば自分が幸せだと思えるか。

どんな自分になりたいか。

何をやってみたいか。

どこに行ってみたいか。

どれだけたくさんイメージできるか。

それが、たくさんの夢を叶えるための、最も現実的な方法だと思う。

 

だから、何歳になっても、新しい夢は生まれる。いつのまにか、叶ってる。大切なのは、

「夢が叶った!」と喜ぶこと。いちいち。

後からまとめてでもいいけど。夢が叶ったことに気がつくまでは、夢は叶ったものとして、自分の手の中に収まらない。腑に落ちない。幸せに気づかない。幸せになれない。

 

どうか、私の子どもたちが、たくさんの夢を見つけられますように。夢は大きさじゃない。数だ。

 

 

もしもボックス

ナルコレプシーの診断がついたのは、30歳。

私が最初のナルコレプシーの患者だった、今の睡眠科の主治医は、いろんなことを私に聞く。

「もしナルコレプシーだと、中学生の頃にわかっていたら、どうなっていたと思う?」

「私は医者か薬剤師になっていたと思います。」

 

クローン病の診断がついたのは、37歳。

私は原因不明の下痢と高熱を繰り返し、1年で4回も入院するとかやったから、臨床ナースをやめた。

もし、クローン病じゃなかったり、その時に診断がついてちゃんと治療していたりしたら、臨床を上がらず今も白衣を着ていただろう。

 

そんな「もしもボックス」は、定期検査中の雑談で、笑い話。

ナルコレプシーがわかりました。

クローン病がわかりました。

どうやって仲良く生きていくか、それをお医者さんと一緒に考えながら生きていくだけ。

壊れた腸も私の一部。

悪い部分を切り離してしまったら、ストマ(人工肛門)になるだけ。

 

まあ、万一そうなったらそうなった時で、どうやって仲良く生きていくか、また考えるだけなんだろうけど。

理想的な自然食が病気の原因のこともある

医食同源

 

私の父は小さいながらも東洋医学専門書の出版社をやっていて、私は子どもの頃から東洋医学の考え方のなかで育った。

父は、野菜を食べなかった。正確に言うと、露地物の季節の野菜以外は食べなかった。生野菜は「バッタの餌」「身体を冷やす」と言って、夏の暑い時にしか食べることを許さなかった。

でも、ユキノシタやモミジ、コンフリと言った「庭に生えてる雑草」はよく、庭で天ぷらにして食べたし、筍や山菜はよく採りに行って食べた。

 

家には5色の図があって、わかりやすく食の陰陽が描かれていた。絵がきれいで、私はよく眺めていた。18年その絵を見ていたら、どの食べ物がなんの作用があって、どれとどれが効果を相乗しあうとか、自然とわかるようになった。

 

東洋医学書の出版社だけあって、うちにある「家庭の医学」的な本も、東洋医学書だった。

「頭が痛い」で検索すると、フローチャートがあって、のぼせやすいとか冷えやすいとか、汗をかくとかかかないとか、細かく矢印で分かれて行って、最後はオススメの漢方薬と食べ物、ツボ、療法に辿り着く、という本。

 

だから私も、大人になってからは、食事にだけは、とても細かい人になった。スパイス(薬味)で体調を整えるのが基本。自然のものを好んで食べた。特に野菜。

北陸に住んで子どもが生まれてから、生野菜はほぼ食べさせずに育てた。食べる生野菜は朝市でおばあちゃんが「自分用に畑で育てた季節の野菜」と、近所の人のくれるものだけ。と言っても北陸なので、夏が短く野菜を生で食べたい季節は短い。でも、名も知らぬ怪しいキノコなんかも届いたりする。

娘も息子も、小学校に入るまで「サラダ」は、「茹でてある野菜(給食も今はみんな火が通されてるからね)にドレッシングをかけたもの」だと思っていた。

自家栽培のキュウリやトマトは、なったらなっただけ、食べていた。もちろん、優しい土で作った子達。

 

私は、子どもの頃からお腹が弱く、日常生活にも支障をきたすことが多かった。ナースになってから4回入院し、ナースを辞めた。その後も何度も、原因不明の高熱と腹部症状、CRP40台入院に見舞われた。娘と息子がお腹にいる時も症状が起こり、ステロイドが使えないため、お腹の子も母体も生死を彷徨った。

そんなんだからなお、食べ物に気をつけた。海藻、野菜、きのこ、豆類、雑穀、とにかく身体に優しい食事をとり続けた。しかし、体調不良は不定期に限界を超えることがあった。

平成26年。医学の進歩により、カプセル内視鏡検査を受け、やっと診断名がついた。

胃カメラでも大腸カメラでも届かない、小腸の炎症性腸疾患、クローン病

悪化させる原因は、ストレスと食事だった。それから私は健康になるために妄信的に食べていた野菜、果物、玄米雑穀米、キノコ類、海藻、豆やゴマ、納豆、小魚、青魚、生姜やこしょう、乳製品に至るまで、全てを「禁止」された。

私は、長年の間、自分で自分の体を食べ物で傷め続けていたわけだ。皮肉なこと甚だしい。

 

私が健康を保つために1番理想的なのは、口から食べることをやめて、鼻からチューブで科学的に作られ合成された完全栄養を微量ずつ流し続けること。初めのうちは、がんばって、自分で鼻からチューブを挿れる、輸液を落とす、をやっていた。でも、寝たきりじゃないし、仕事もあるし、夜は途中で起きて消毒とかしたくないし、何せ食べたいし、そんなことできるわけがない。結局、うまく調整できなくて、肝臓を壊し、経管栄養中止。

 

私が何が言いたいかと言うと、最近の自然な食事ブーム、それで必ず健康になれるとは限らないということ。どんな食べ物も合う合わないがある。医食同源である。香辛料=スパイス=薬味=薬=毒  とも言える。過ぎたるは及ばざるが如し。そして、相性もある。

 

娘は、2歳まで塩を使わず、その後も化学調味料を使わず、自然なものしか食べさせず、5歳まで育てた。とても味のわかる子になった。味のセンスのいい子になった。全く病気をしない子になった。その結果。

今、住んでいるところに引っ越して、保育園に、小学校に行きたくないと言い出した。理由は、給食が食べられないから。この地域は私が住んでいた福岡や、前住んでた田舎とは違い、完全自校給食ではなく、工場で給食が作られているからだ。(ていうか、小学校の給食の理由に、「給食の調理員さんが朝からがんばって作ってくれているのを見て、感謝して食べて育つ、という目的が全国共通でなかったことに驚いた。)

コンビニ弁当も食べられない娘が、冷めた辛い給食を食べられるわけがなかった。

ケーキやクッキーやドーナツが食べられないし、それを言いたくないから、学童保育に行きたくない、お友達の家に遊びに行きたくない、お誕生日会はケーキが出るから絶対無理。こうなってくると、むしろ味覚過敏で、生きる楽しみを完全に損してしまってる。「味がわかる」ことは、幼少期の彼女にとって、もはや、「不幸」でしかなかった。完全な私の失敗。

大人になって、彼女が自分の味覚の繊細さや健康な体を喜ぶ日が来る可能性も、もちろんある。

 

私は、食べたいものを食べるのが1番いいと思う。

食べたい、というのは、今、その瞬間、体がその食べ物を欲しているということ。魚が食べたい、肉が食べたい、油物が食べたい、いっぱい食べたい、もしかは今は食べたくない。体の声に、耳を傾けて欲しい。太っていてもたくさん食べたい人は、体が欲してるのではなく、心が欲している。その場合、心を充足させる、太る食べ物を食べること以外の何か、を考える必要がある。高血圧の人がしょっぱいものを食べたがったり、高血糖の人が甘いもの食べたがったり、アル中の人がお酒を飲みたがるのも同じ。

そういう自分では気づかない体の声と心の声のギャップを知るためにも、年に一回健診を受けることは、いい機会だと思う。

 

カップラーメンを食べたい時は、カップラーメンを食べればいい。

誰もが「ちょっと悪いこと」をしてみたくなることがある。思春期のように。

身体に毒を盛りたい衝動に駆られる。気分転換だったり、ご褒美だったり、好奇心だったり。

少量の毒は「薬」である。

医食同源。薬が毒なら、毒もまた薬である。

毒をもって毒を制す。

 

昔の人は、いい言葉をたくさん残しているものですね。

 

 

不協和音でもエキセントリックでもないから危険

現在中2の娘が一時不登校だった頃にハマった欅坂。

サイレントマジョリティの歌詞と、センターの子の目ヂカラとキレキレダンスに、私も目を奪われた。

娘が「てち」に執心し、学校に戻ってからも、友達と欅坂乃木坂を歌い踊り、なんだか楽しそうだから、ほっといた。

私もかつて陥った、もしかしたら今で言う「厨二病」ちっくな歌詞は、思春期の女子の胸に刺さりまくるんだろうなあ、と微笑ましく思っていた。

 

一昨日の不協和音は、「可愛い顔に髪がかかりすぎで残念だなー」くらいにしか思わなかったけど、昨日のエキセントリックは、娘の前で堪えきれず吹いてしまった。

絶対娘に「てちを笑うな!」と怒られると思った瞬間、娘も吹いた。

 

やりすぎだ。あんまりだ。

 

彼女たちは、きれいに調和して、あの孤独な歌詞と、短調の曲を、奇抜な振り付け(同世代ファンが笑うほど)で踊っている。

練習にしてもうんざりするほどこの曲を聴いて、踊って、この踊り変すぎる、という気持ちもぶっ壊されてしまっているんだろう。

まだまだ思春期の彼女たち。

お仕事だと割り切っていられるならいいけど、染まって病まないか、心配になる。

不協和音は既に完コピしているっぽい娘も、エキセントリックはまだ踊り出していない様子。

 

余談だけど私は、マジすか学園時代から、珠理奈ちゃんと、あんにんこと入山杏奈ちゃん推し(切られてもやめずにいてくれてありがとう)で、ここ数年は咲良ちゃんが可愛くて仕方ない上に、元黒ロリだったこともあり、願い事の持ちぐされ が、ツボで仕方がない。さしこが総選挙で言ってたけど、もう少し坂に負けないでいてほしい。個人的には。あと、総選挙負けて、まゆゆの顔がなんだか優しくなったなあ。

 

本題から完全にそれた。

救えない10%に幸せになって欲しい

タイムラインには、「がんは検診より予防が大事」が飛びかってて、げんなりする。

がんは基本生活習慣病なのでそんなことは当たり前で、そういうことばっかり私たちは仕事にしてて、そんでもがんになるから、検診を勧める。

検診行って良かったーって安心すればそれで終わりの人が多すぎるとか言ってるけど、行かないよりは行って安心した方がいい。行って見つかって治療が間に合えばそれでいい。

がんは予防できるものもあるよ。体質も遺伝もあるよ。原因があるものもあるよ。でも、ない事もあるよ。

ざっくり言うと、今年のがん検診の勧奨では、「90%のがんが、早期発見により治ります」って話してるけど、10%は治らないんだよ。

それでも90%の人に治ってもらうために、仕事をしてる。

でも、そもそもその100%にならないように、仕事をしてる。がん検診の勧奨は仕事の一部。

そして、私に救えない10%の人たちは、本人と家族と医療者の役割。今は臨床にいないけど、残された家族の側には、私たちの仕事もある。

そして、100%に入らないがん患者さんが、できるだけ少なくなるように、私たちはがん検診を勧める。

 

私の祖父が2人。

私の祖母が2人。

友だちが5人、お世話になった先生4人、病気がちな私に、手作りの野菜でご飯を食べさせてくれてた大学時代の寮の大家さん、みんな、がんで亡くなった。子ども時代に亡くなった人もいる。

 

親戚は上が70代から下が14歳、全部で4人が闘病中。

大切な親友、憧れの上司、大学の恩師、子どもを世話してくれた教会のおじいちゃん、生きてて良かったと思う人たちがたくさん、がんサバイバー。

 

がんの何がわかってて、検診より予防が大事の記事がリツイートされまくってるのか、と言いたくなる。今、まさに、病気と闘ってる人たちに失礼だ。予防できなかった自分が悪いとでも言いたいのか?とも取れてしまう。国民病のがんの既往歴がある人なんて、言わないだけでたくさんいるのに、その人たちを責めてるみたいで、腹立たしくもある。

みんながみんな、喫煙者で食品添加物にまみれてるわけじゃない。

この話題の中、検診を受けに行こうと思った人たちを、安易な考えだと冷めた言葉で切り離す必要性がどこにある。

 

「看護師だったら、見ときなさい。」

亡くなる半年前、祖母はお風呂場で、ナースになったばかりの私に、ストマ(人工肛門)の交換を私に見せて、やらせてくれた。

何度も手術したけど、腹膜全体に転移したがんは、真っ白な雪の日に、祖母を連れて行った。

仕事を辞めて祖母に付き添っていた私は、祖母のストマの最後の手入れをして、綿で埋めた。

料理の上手な祖母だった。海の幸も山菜も、祖母はなんでもご馳走にした。

私は祖母に料理は何一つ習わないまま。ストマのケアだけを教えてもらった。

もう1人の祖母は、母が14歳の時に、4人の子どもを残して、やはり、がんで亡くなった。

 

このブログ、プライベートを書くつもりで始めたのに、仕事のことばっかり書いてる、私。

こういうのを、職業病というのかな。