先日のFNS歌謡祭で、ASKAが出てきてPRIDEを歌った。
薬の人なのに、もうテレビは許したのか、同じ福岡出身の酒井法子はまだ表だった活動はできないのに、男の人は出てこれるのか、男女差だったら不公平、それとも元々の人気の差?と思ったり。
焼け木杭に火がついてしまうに違いないと、SNSで昔の知り合いを簡単に探せる世の中になったのに、私は10代の頃の恋人と、出会わないように気を付けていた。独身時代。
共通の友達と繋がっても、その人の連絡先を知っていても言わないで、と言い続けてた。
私は彼が幸せになるために、彼は私が幸せになるために、お互いがいない方がいいと思ったから、別れた相手だった。
最後に交わした言葉は新幹線のホームで「着いたら電話するね」「うん、待ってるね」だった。
電話はかかってこなかったし、私からもかけなかった。
それは言葉を超えた深い愛であり、私と彼は同じ気持ちだった。そんな素敵な悲しい恋をした。
16歳から20歳の青春時代を全部捧げた恋は、本物すぎて、あまりにも本物すぎて、それ以降も彼以上の恋に落ちた相手は、現れなかった。
そんな彼がどうしているのか知りたくなったのは、人生の半分を過ぎた頃。生きているのか、幸せになっているのか、知りたいと思った。私も再婚したし、今さら灰に火はつかないという思いもあった。
しかし、知人を辿っても、誰も彼の消息を知らなかった。中学が同じだから、誰かはきっと知っているだろうと思って、同中の友達先輩後輩に聞いてもらっても、本当に誰も知らなかった。
私は、かえって心配になった。なぜ見つからないの?どうして誰とも繋がってないの?死んだり犯罪を犯したりしてたら、誰かを通じて風の噂が流れてくるだろうけど、それはないから、無事に生きてはいるんだろう。
そうは思っても心配は消えない。彼は友達があまり多くなかった。家族はいるのだろうか。親御さんとの関係は、どうなっているのだろうか。
今、孤独の中にいないか、それが心配になった。最後の手段、宗教づてに探そうか、と思ったりもしていた。
彼は、チャゲ&飛鳥が大好きだった。飛鳥のように髪をサイドバックに上げているのが、とても似合っていた。カラオケでもたくさん、歌ってくれた。チャゲ&飛鳥=彼との思い出の曲、だった。
そして、前日、ASKAがテレビに現れた。歌った曲は、PRIDE。彼もよく歌っていた曲だ。
「心の鍵を 壊されても
譲れないものがある PRIDE」
腑に落ちた気がした。
彼は、今、孤独であっても、それを私に知られたくない。幸せであっても、それを私と話して喜びを分かち合うことをしたくない。
昔のように、傷を舐め合う関係になりたくない。
あの頃私たちは、尾崎豊の「I love you」そのままの関係だった。似たような境遇で、お互いの寂しさを、お互いの肌の温もりで埋め合っていた。
それが本当の恋だったのか、愛だったのか、付き合っている当時は、私にも断言できなかった。
新幹線のホームでキスを交わして手を振り、それが別れとなってしまった後に、私たちは愛し合っていたことに、気がついた。
でもそれは別れをやめる理由にはならなかった。2人ともがそれぞれ本気で悩み、同じ魔答えを出した。それが、私たちの愛だと思ったから。
私は、彼を探すのは辞めることにした。
もう一度出会う必要があるのなら、必然的に出会うだろう。
今はまだ、その時ではない。一生その日は来ないかもしれない。
精一杯の強がりで、笑顔で手を振った、新幹線のホーム。
あれが私たちの愛の集大成。
一生に一度、そんな恋ができたこと、心に秘めて、誇りを持ってこれからも生きていこう。
それが私の PRIDE