なるこの夢ばかり

ナルコレプシーです。家族みんなadhdです。リア充のために本音はここに置いていきます。

予防接種 「みんなのため」の意味

予防接種、受けない人が増えている。

子どもに受けさせない人も増えている。

義務ではなく、任意。

それでも、国や地方公共団体が、全額払って打たせているのは、「病気の予防」だけでなくて、「公衆衛生」の意味もある。

今日は「みんなのため」の予防接種について、考えてみたい。

 

(個人の意見です)

 


私たちは子供の頃、おたふく風邪水疱瘡の予防接種を打たなかった。

幼稚園とか小学校とか、適当なところで小さい時にかかって、免疫を身につけていた。

そして、クラスで同じ病気が流行るたび、暴露を受けて再感染を繰り返し、免疫力を高めて、終生免疫となっている。

これらの病気は、大人になってかかると、重病になる。だから、小学校までに罹らないと、自費で予防接種を打ったものだ。

 


だけど、風疹や麻疹は、その頃すでに「あまり流行らない病気」だった。だから、ブースター効果で免疫を強くすることができず、失っている人も多い。そのため、妊娠すると麻疹風疹の抗体検査をして、罹らないように予防する必要があった。

今、ある年代の男性達に限り、風疹の予防接種の助成がされているのも、生まれくる新しい命を先天性風疹症候群で耳の聞こえない子で生まれされないためだ。

今は、麻疹風疹については、1回の注射では95%の人にしか免疫がつかないし、ほぼブースター効果が見込めないから、全員2回接種になっている。

 


私よりひとつ年上の人までは、直径1.5センチほどの、丸いケロイド状の予防接種の痕がある。種痘、天然痘(痘瘡)という病気の予防接種の痕だ。

種痘は、天然痘(痘瘡)という、たいへん死亡率の高い恐ろしい感染症の予防接種のこと。種痘が開発され、世界中で予防接種を実施した結果、1980年にWHOが撲滅宣言をした。予防接種によって、絶滅した病気だ。

天然痘の予防接種、種痘の歴史は古く、18世紀。ジェンナーが少年(自分の子どもという説も)に牛の乳搾りの女性の抗体を切りつけて塗った、というところから始まる。

日本に伝わったのは明治18年。予防接種どころか医療の技術も低く、「手を洗うと、手術の後の生存率が高くなる」とか発表されていたレベル。もちろん予防接種の後遺症や副反応も今よりひどかっただろうし、そもそも注射器の消毒すら、昭和の終わりまでちゃんとしてなくて、だから予防接種回しうちによるウイルス性肝炎というもので、現在も国が補償をしている。

天然痘にかかって死ぬくらいなら、種痘を打とう」という先人達の200年にわたる努力によって、天然痘は地球上から根絶された。

だから、私の歳から後の人には種痘の接種痕が、ない。

 


今、予防接種を受けない人、受けさせない親、受けさせてもらえなかった子、が増えている。

その人たちの選択を責める気はない。なぜなら、その人達は、自然感染して、周りにウイルスや菌をばらまき、予防接種を打った人の抗体を高める役に立つ、からだ。

だけど、選択権のない、「受けさせてもらえなかった子」はどうだろうか。

成長とともに罹患したら、重症化する。水痘や麻疹は命を落とす。自分の子どもの耳が聞こえなくなる。原因を作ったのは「受けさせなかった親だ」と言われる。もちろん、公費接種の期間をすぎても、自費で予防接種は受けられる。大人になって、自分で働いたお金で、予防接種を受けることはできるけれども。(何万円だが)

 


じゃあ、コロナワクチンはどうだろう。

私は、職業と担当業務、患者様に接する最前線にいるので、1番に打つことになった。

でも、この職業でなければ、絶対躊躇した。1番最初に打った最前線の医療従事者達は、記録をつけさせられた。治験のようなものだ。どれくらいの割合でどんな副作用が起きて、、、。

私だって、20代の30%以上が副反応で高熱を出すワクチンなんて、打ちたくなかった。もっと安全性の高くて、変異ウイルスにも効果が高いワクチン開発されてから、打ちたかった。でも、打ったから、最前線で仕事をできる、自分がいる。(ワクチンを打っていても、罹る時は罹ります)

 


今、ワクチンを受けている人は、自分が罹っても重症化しないため、他の人にうつさないため、コマーシャルの言葉のとおり、「自分のために」「みんなのために」副作用が強いと言われていても、勇気を出して受けに行ってます。家族にうつさないために、予防接種を受けられない12歳未満の子供達のために。

予防接種は、ある意味「愛」だと思っています。だから私たちも、愛を届けたい気持ちに応えるべく、必死でワクチン接種が早く進むように、力を尽くしています。

 


夜中の2時に届く、県や国からのメール。100時間を軽く超える残業。鳴り止まぬ苦情の電話。

県や政府や上層部の方針変更で日々変化を求められる現場。昨日までのことが全てゴミ箱、突然全然違うことを明日までにやれと言われる。虚しさを感じながらも、「公衆衛生」の仕事をしています。

 


18歳にもうすぐなる娘はワクチン受けたくないと言います。中高生は夏休みのうちに予防接種受けれるようにしてあげたいけど、今のペースでは間に合わない。

医療系に進む娘は、絶対、「コロナワクチン打ってないと授業受けれない、実習に行けない」になると予想されるので、みんなが打つ時期に、打ってくれるといいなあ、と思いますが、この年齢では絶対に、2回目の後、2日は寝込むと思われます。

受験に差し障らない時期に、打てるといいと思います。

(何よりも、コロナにかかって受験に行けなかった、は最悪です。。。)

 


息子は、私立大学の附属なので職域接種で受けれることを期待しています。ワクチン打ってないと試合に出れない、遠征に行けない、になることは確実でしょう。

そういえば娘も、大手交通系企業の運営する高校なので、夏休みのタイミングで職域やってくれると本当に助かります。交通系、観光系の企業で今は暇になっているので、その間に職員みんな打っちゃえば、安心ですよね。秋の行楽シーズンには、間に合うかもしれません。

 


でも、やっぱり、自分の子ども達が受けるのは、副反応が少ないワクチン開発されてからがいいな。10代は重症例はほぼ無いし。

今、コロナワクチンは、明治18年の種痘ワクチン状態。日本に伝わったばかり、国産ワクチンはまだなし、ワクチンを打って、1年後抗体がもつかどうかのデータもない。(1年経ってないから、当たり前)何年に一回打てばいいのか、毎年なのか、一生効くのか、誰もわからない。変異型にワクチンが効果がどれくらいあるのか、これから新しく出てくる変異型には効果を発揮するのか、誰もわからない。

 


私は、うちの職場で1番に予防接種を打った理由はまだあります。打っても大丈夫、と、後に続く職場の人に安心を与えるために、1番を引き受けました。みんなが躊躇する現場に、1番に飛び込める人になるために。「みんなのため」の予防接種です。(幸いといっていいかどうか、私は2回目副反応がほとんど出なかったため、変な安心を周りに与えてしまい、みんなに「こんなひどいとは聞いてない」という見本になってしまいましたが。)

それからもうひとつ。私自身が、予防接種を正しく打てる人になるために。現場でナースが不足した時に、「打つ係」として駆けつけられるように。

雇上げのパートナース達に、正しく「打ち方」を指導できるように。より安全な集団接種を行うには、どうすれば良いか、考えるために、1番に打ちました。

 


今回のコロナが終息しても、長生きしても、次の病気は次々出てくるでしょう。

追いかけっこです。人類が負ける日がいつ来てもおかしくない。

予防接種は増えるでしょう。その一方で、消える予防接種も少なくてもあるでしょう。だけどそれは、地球上の人類全員、肌の色も言葉も文化も国籍も超えて浸透しないと起きない奇跡です。

 


「みんなのため」の言葉の深さを知って欲しくて、今日は長文を書いてみました。

 


ちなみに、うちの娘は子宮頚がんワクチンを受けていません。しかし、任意で自費でB型肝炎ワクチンを受けさせました。

何が必要で何が不要か、考えてあげられるのは親と周りの大人だけ。正しい知識を持って、「なんとなく」とか「みんなそうだから」とか「怖いから」ではなく、判断をしてあげてほしいと思います。

次の世代、次の次の世代、子ども、孫、ひ孫、玄孫たちのために。f:id:hime3to3:20210627154921j:image

 

※ 個人の意見です。