なるこの夢ばかり

ナルコレプシーです。家族みんなadhdです。リア充のために本音はここに置いていきます。

誰のために本を造るか(読書感想文から随想)

話題図書、「世界でいちばん透きとおった物語」を読んだ。

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昨日、病院で休職を1ヶ月延ばすことと、手術を1か月早めることを聞いて帰ったら、密林からいつものオシャレだけど再利用し難いパッケージで届いていた。

ミステリーを買ったのは、子どもの頃の〇〇文庫以来かもしれない。ミステリーは頭を使うし読み終わった後に気分が暗くなるので、本の虫であった私でも、好まなかった。

前回、長い休職をした時に、ミステリー好きな娘に何冊か「読んでみてよ」と無理やり本を押し付けられ、

「最近のミステリーは、特急列車や観光地で起きるものではない」

「普通の読みやすい小説と同じく、後味がさっぱりしている」

と言うことを、ようやく知ったばかりだ。

一昨日、密林に勤めている旧友が、「紙の本でなくてはいけない本だ」と感想を書いていたのに、興味を惹かれた。

彼女も、子どもの頃からの本の虫。たくさんの本を貸し借りして読んだ。

娘の部屋にある「魔女の宅急便」は、小学生の頃、彼女から借りパクしたままになってしまった本だ。

彼女の3行ほどのレビューを読んで、密林で本を探した。

私は「単行本を手にしてその重みやインクの色、紙質などを十分味わい尽くしてこそ、本の本たるものを感じられない」と思っていたので、文庫本は買わない、電子書籍は読む価値なし、くらいに思っていた。

しかし、この本はどれだけ探しても単行本が見つからなかった。仕方なく文庫を1クリックした。

実は、私の亡き父は出版社をしていた。家族経営の小さな会社だったので、父は編集から営業まで全部1人でやっていた。父自身が原稿を書くこともあった。挿絵は母が色を塗り、私は高校生ながら、原稿用紙1枚5円で校閲をしていた。

住んでいた家は、在庫の重い本が詰まった段ボールで、あちこち床が抜けかけていた。

本を1冊造るのに、中の紙、外の紙、インクの色、字体、表紙の紙質など、たくさんのサンプルの中、家族会議であーでもない、こーでもないと言いながら何日も論じ合った子供時代。

文庫本は読み捨てるもの、という感覚は父の作る本への敬意と、本屋の娘という誇りでもあった。

f:id:hime3to3:20230801113553j:imageどれがタイトル?

本作に戻ろう。

実は私は120ページで、この本に隠された答えを見つけてしまった。その瞬間、手の中の文庫本は透き通った。

仕掛けのわかったミステリーに読む価値を見失ってしまう人もいるだろうが、私はミステリー好きではなく、「物語」が好き。

本は薄いし、論調は今風で柔らかいし、さらさらと最後まで、1人の青年の物語を読んでしまった。

ラストは予想通りすぎた。

しかし、それでも、心は温かくなった。

どうしても「本を造る」ことに生涯をかけていた、父と重なった。


いろいろな理由で、父の出版した本はほとんど残されておらず、私の手元には上下巻組の紙箱に入った専門書1組しか残っていない。

その本のあとがきは、印刷以外のほぼ全てを自分でやっていた父が書いていた。

そのあとがきが、漫才のような内容で、私はとても恥ずかしく、最初の方だけ読んで本は封印されていた。

しかしこの小説を読んだ後、私はまっすぐ部屋に向かい、父の本を開きあとがきに目を落とした。

あとがきの終わりの方に、父が本作を造るにあたって込めた想いが綴られていた。


1 普遍性があること

2 科学的であること

3 後生に残ることを信じて

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父は、漢方や薬膳が全くマイナーな時代に、東洋医学書の出版と販売をしていた。

当時、東洋医学(中医学)は、胡散臭いイメージがあり、今のように身近なものではなかった。

父は、続いて、このような言葉を残している。

「ブームで終わるものなら作らなかった。100年後にも通用し、評価されるだろうと信じて。」


本日、1時間半の短時間で読み終えてしまった小説、「世界でいちばん透き通った物語」は、私に父の教えをたくさん思い出させてくれた。

身体を冷やすと言って、生野菜は絶対食べなかった父。

「地物で季節のもので、その時の自分に必要なもの」であれば、生でも良いとされた。それがこれ。

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きゅうり。今朝、産直で買ってきた、新鮮なもの。

珠洲の塩田の天然塩で板摺し、これからアゴ出汁と酢で漬ける。

今、私はステロイド剤の副作用で全身浮腫がひどい状態。

父は、「夏に浮腫む時は、水捌けをよくするキュウリと、利尿作用のあるアイスコーヒーをたくさん摂りなさい」と私に教えた。

奇しことに、私は暑くなる前に、キュウリを山ほど買ってきて、家族で食べようとしながら、この本を読んだのであった。

本を造る人、その思い。

父が子にかける思い。

その両方があるからこそ、その本を今朝読んで良かった、と思える。

亡き父に手を合わせたくなる物語であった。

 

最後に、どれがタイトルかもわからない、父の本を復刻販売し、後世に残してくださっている、谷口書店様 https://xn--z8j3ah2b4856byrk.com/ に心から感謝申し上げます。