なるこの夢ばかり

ナルコレプシーです。家族みんなadhdです。リア充のために本音はここに置いていきます。

理想的な自然食が病気の原因のこともある

医食同源

 

私の父は小さいながらも東洋医学専門書の出版社をやっていて、私は子どもの頃から東洋医学の考え方のなかで育った。

父は、野菜を食べなかった。正確に言うと、露地物の季節の野菜以外は食べなかった。生野菜は「バッタの餌」「身体を冷やす」と言って、夏の暑い時にしか食べることを許さなかった。

でも、ユキノシタやモミジ、コンフリと言った「庭に生えてる雑草」はよく、庭で天ぷらにして食べたし、筍や山菜はよく採りに行って食べた。

 

家には5色の図があって、わかりやすく食の陰陽が描かれていた。絵がきれいで、私はよく眺めていた。18年その絵を見ていたら、どの食べ物がなんの作用があって、どれとどれが効果を相乗しあうとか、自然とわかるようになった。

 

東洋医学書の出版社だけあって、うちにある「家庭の医学」的な本も、東洋医学書だった。

「頭が痛い」で検索すると、フローチャートがあって、のぼせやすいとか冷えやすいとか、汗をかくとかかかないとか、細かく矢印で分かれて行って、最後はオススメの漢方薬と食べ物、ツボ、療法に辿り着く、という本。

 

だから私も、大人になってからは、食事にだけは、とても細かい人になった。スパイス(薬味)で体調を整えるのが基本。自然のものを好んで食べた。特に野菜。

北陸に住んで子どもが生まれてから、生野菜はほぼ食べさせずに育てた。食べる生野菜は朝市でおばあちゃんが「自分用に畑で育てた季節の野菜」と、近所の人のくれるものだけ。と言っても北陸なので、夏が短く野菜を生で食べたい季節は短い。でも、名も知らぬ怪しいキノコなんかも届いたりする。

娘も息子も、小学校に入るまで「サラダ」は、「茹でてある野菜(給食も今はみんな火が通されてるからね)にドレッシングをかけたもの」だと思っていた。

自家栽培のキュウリやトマトは、なったらなっただけ、食べていた。もちろん、優しい土で作った子達。

 

私は、子どもの頃からお腹が弱く、日常生活にも支障をきたすことが多かった。ナースになってから4回入院し、ナースを辞めた。その後も何度も、原因不明の高熱と腹部症状、CRP40台入院に見舞われた。娘と息子がお腹にいる時も症状が起こり、ステロイドが使えないため、お腹の子も母体も生死を彷徨った。

そんなんだからなお、食べ物に気をつけた。海藻、野菜、きのこ、豆類、雑穀、とにかく身体に優しい食事をとり続けた。しかし、体調不良は不定期に限界を超えることがあった。

平成26年。医学の進歩により、カプセル内視鏡検査を受け、やっと診断名がついた。

胃カメラでも大腸カメラでも届かない、小腸の炎症性腸疾患、クローン病

悪化させる原因は、ストレスと食事だった。それから私は健康になるために妄信的に食べていた野菜、果物、玄米雑穀米、キノコ類、海藻、豆やゴマ、納豆、小魚、青魚、生姜やこしょう、乳製品に至るまで、全てを「禁止」された。

私は、長年の間、自分で自分の体を食べ物で傷め続けていたわけだ。皮肉なこと甚だしい。

 

私が健康を保つために1番理想的なのは、口から食べることをやめて、鼻からチューブで科学的に作られ合成された完全栄養を微量ずつ流し続けること。初めのうちは、がんばって、自分で鼻からチューブを挿れる、輸液を落とす、をやっていた。でも、寝たきりじゃないし、仕事もあるし、夜は途中で起きて消毒とかしたくないし、何せ食べたいし、そんなことできるわけがない。結局、うまく調整できなくて、肝臓を壊し、経管栄養中止。

 

私が何が言いたいかと言うと、最近の自然な食事ブーム、それで必ず健康になれるとは限らないということ。どんな食べ物も合う合わないがある。医食同源である。香辛料=スパイス=薬味=薬=毒  とも言える。過ぎたるは及ばざるが如し。そして、相性もある。

 

娘は、2歳まで塩を使わず、その後も化学調味料を使わず、自然なものしか食べさせず、5歳まで育てた。とても味のわかる子になった。味のセンスのいい子になった。全く病気をしない子になった。その結果。

今、住んでいるところに引っ越して、保育園に、小学校に行きたくないと言い出した。理由は、給食が食べられないから。この地域は私が住んでいた福岡や、前住んでた田舎とは違い、完全自校給食ではなく、工場で給食が作られているからだ。(ていうか、小学校の給食の理由に、「給食の調理員さんが朝からがんばって作ってくれているのを見て、感謝して食べて育つ、という目的が全国共通でなかったことに驚いた。)

コンビニ弁当も食べられない娘が、冷めた辛い給食を食べられるわけがなかった。

ケーキやクッキーやドーナツが食べられないし、それを言いたくないから、学童保育に行きたくない、お友達の家に遊びに行きたくない、お誕生日会はケーキが出るから絶対無理。こうなってくると、むしろ味覚過敏で、生きる楽しみを完全に損してしまってる。「味がわかる」ことは、幼少期の彼女にとって、もはや、「不幸」でしかなかった。完全な私の失敗。

大人になって、彼女が自分の味覚の繊細さや健康な体を喜ぶ日が来る可能性も、もちろんある。

 

私は、食べたいものを食べるのが1番いいと思う。

食べたい、というのは、今、その瞬間、体がその食べ物を欲しているということ。魚が食べたい、肉が食べたい、油物が食べたい、いっぱい食べたい、もしかは今は食べたくない。体の声に、耳を傾けて欲しい。太っていてもたくさん食べたい人は、体が欲してるのではなく、心が欲している。その場合、心を充足させる、太る食べ物を食べること以外の何か、を考える必要がある。高血圧の人がしょっぱいものを食べたがったり、高血糖の人が甘いもの食べたがったり、アル中の人がお酒を飲みたがるのも同じ。

そういう自分では気づかない体の声と心の声のギャップを知るためにも、年に一回健診を受けることは、いい機会だと思う。

 

カップラーメンを食べたい時は、カップラーメンを食べればいい。

誰もが「ちょっと悪いこと」をしてみたくなることがある。思春期のように。

身体に毒を盛りたい衝動に駆られる。気分転換だったり、ご褒美だったり、好奇心だったり。

少量の毒は「薬」である。

医食同源。薬が毒なら、毒もまた薬である。

毒をもって毒を制す。

 

昔の人は、いい言葉をたくさん残しているものですね。