なるこの夢ばかり

ナルコレプシーです。家族みんなadhdです。リア充のために本音はここに置いていきます。

もしもボックス

ナルコレプシーの診断がついたのは、30歳。

私が最初のナルコレプシーの患者だった、今の睡眠科の主治医は、いろんなことを私に聞く。

「もしナルコレプシーだと、中学生の頃にわかっていたら、どうなっていたと思う?」

「私は医者か薬剤師になっていたと思います。」

 

クローン病の診断がついたのは、37歳。

私は原因不明の下痢と高熱を繰り返し、1年で4回も入院するとかやったから、臨床ナースをやめた。

もし、クローン病じゃなかったり、その時に診断がついてちゃんと治療していたりしたら、臨床を上がらず今も白衣を着ていただろう。

 

そんな「もしもボックス」は、定期検査中の雑談で、笑い話。

ナルコレプシーがわかりました。

クローン病がわかりました。

どうやって仲良く生きていくか、それをお医者さんと一緒に考えながら生きていくだけ。

壊れた腸も私の一部。

悪い部分を切り離してしまったら、ストマ(人工肛門)になるだけ。

 

まあ、万一そうなったらそうなった時で、どうやって仲良く生きていくか、また考えるだけなんだろうけど。

理想的な自然食が病気の原因のこともある

医食同源

 

私の父は小さいながらも東洋医学専門書の出版社をやっていて、私は子どもの頃から東洋医学の考え方のなかで育った。

父は、野菜を食べなかった。正確に言うと、露地物の季節の野菜以外は食べなかった。生野菜は「バッタの餌」「身体を冷やす」と言って、夏の暑い時にしか食べることを許さなかった。

でも、ユキノシタやモミジ、コンフリと言った「庭に生えてる雑草」はよく、庭で天ぷらにして食べたし、筍や山菜はよく採りに行って食べた。

 

家には5色の図があって、わかりやすく食の陰陽が描かれていた。絵がきれいで、私はよく眺めていた。18年その絵を見ていたら、どの食べ物がなんの作用があって、どれとどれが効果を相乗しあうとか、自然とわかるようになった。

 

東洋医学書の出版社だけあって、うちにある「家庭の医学」的な本も、東洋医学書だった。

「頭が痛い」で検索すると、フローチャートがあって、のぼせやすいとか冷えやすいとか、汗をかくとかかかないとか、細かく矢印で分かれて行って、最後はオススメの漢方薬と食べ物、ツボ、療法に辿り着く、という本。

 

だから私も、大人になってからは、食事にだけは、とても細かい人になった。スパイス(薬味)で体調を整えるのが基本。自然のものを好んで食べた。特に野菜。

北陸に住んで子どもが生まれてから、生野菜はほぼ食べさせずに育てた。食べる生野菜は朝市でおばあちゃんが「自分用に畑で育てた季節の野菜」と、近所の人のくれるものだけ。と言っても北陸なので、夏が短く野菜を生で食べたい季節は短い。でも、名も知らぬ怪しいキノコなんかも届いたりする。

娘も息子も、小学校に入るまで「サラダ」は、「茹でてある野菜(給食も今はみんな火が通されてるからね)にドレッシングをかけたもの」だと思っていた。

自家栽培のキュウリやトマトは、なったらなっただけ、食べていた。もちろん、優しい土で作った子達。

 

私は、子どもの頃からお腹が弱く、日常生活にも支障をきたすことが多かった。ナースになってから4回入院し、ナースを辞めた。その後も何度も、原因不明の高熱と腹部症状、CRP40台入院に見舞われた。娘と息子がお腹にいる時も症状が起こり、ステロイドが使えないため、お腹の子も母体も生死を彷徨った。

そんなんだからなお、食べ物に気をつけた。海藻、野菜、きのこ、豆類、雑穀、とにかく身体に優しい食事をとり続けた。しかし、体調不良は不定期に限界を超えることがあった。

平成26年。医学の進歩により、カプセル内視鏡検査を受け、やっと診断名がついた。

胃カメラでも大腸カメラでも届かない、小腸の炎症性腸疾患、クローン病

悪化させる原因は、ストレスと食事だった。それから私は健康になるために妄信的に食べていた野菜、果物、玄米雑穀米、キノコ類、海藻、豆やゴマ、納豆、小魚、青魚、生姜やこしょう、乳製品に至るまで、全てを「禁止」された。

私は、長年の間、自分で自分の体を食べ物で傷め続けていたわけだ。皮肉なこと甚だしい。

 

私が健康を保つために1番理想的なのは、口から食べることをやめて、鼻からチューブで科学的に作られ合成された完全栄養を微量ずつ流し続けること。初めのうちは、がんばって、自分で鼻からチューブを挿れる、輸液を落とす、をやっていた。でも、寝たきりじゃないし、仕事もあるし、夜は途中で起きて消毒とかしたくないし、何せ食べたいし、そんなことできるわけがない。結局、うまく調整できなくて、肝臓を壊し、経管栄養中止。

 

私が何が言いたいかと言うと、最近の自然な食事ブーム、それで必ず健康になれるとは限らないということ。どんな食べ物も合う合わないがある。医食同源である。香辛料=スパイス=薬味=薬=毒  とも言える。過ぎたるは及ばざるが如し。そして、相性もある。

 

娘は、2歳まで塩を使わず、その後も化学調味料を使わず、自然なものしか食べさせず、5歳まで育てた。とても味のわかる子になった。味のセンスのいい子になった。全く病気をしない子になった。その結果。

今、住んでいるところに引っ越して、保育園に、小学校に行きたくないと言い出した。理由は、給食が食べられないから。この地域は私が住んでいた福岡や、前住んでた田舎とは違い、完全自校給食ではなく、工場で給食が作られているからだ。(ていうか、小学校の給食の理由に、「給食の調理員さんが朝からがんばって作ってくれているのを見て、感謝して食べて育つ、という目的が全国共通でなかったことに驚いた。)

コンビニ弁当も食べられない娘が、冷めた辛い給食を食べられるわけがなかった。

ケーキやクッキーやドーナツが食べられないし、それを言いたくないから、学童保育に行きたくない、お友達の家に遊びに行きたくない、お誕生日会はケーキが出るから絶対無理。こうなってくると、むしろ味覚過敏で、生きる楽しみを完全に損してしまってる。「味がわかる」ことは、幼少期の彼女にとって、もはや、「不幸」でしかなかった。完全な私の失敗。

大人になって、彼女が自分の味覚の繊細さや健康な体を喜ぶ日が来る可能性も、もちろんある。

 

私は、食べたいものを食べるのが1番いいと思う。

食べたい、というのは、今、その瞬間、体がその食べ物を欲しているということ。魚が食べたい、肉が食べたい、油物が食べたい、いっぱい食べたい、もしかは今は食べたくない。体の声に、耳を傾けて欲しい。太っていてもたくさん食べたい人は、体が欲してるのではなく、心が欲している。その場合、心を充足させる、太る食べ物を食べること以外の何か、を考える必要がある。高血圧の人がしょっぱいものを食べたがったり、高血糖の人が甘いもの食べたがったり、アル中の人がお酒を飲みたがるのも同じ。

そういう自分では気づかない体の声と心の声のギャップを知るためにも、年に一回健診を受けることは、いい機会だと思う。

 

カップラーメンを食べたい時は、カップラーメンを食べればいい。

誰もが「ちょっと悪いこと」をしてみたくなることがある。思春期のように。

身体に毒を盛りたい衝動に駆られる。気分転換だったり、ご褒美だったり、好奇心だったり。

少量の毒は「薬」である。

医食同源。薬が毒なら、毒もまた薬である。

毒をもって毒を制す。

 

昔の人は、いい言葉をたくさん残しているものですね。

 

 

不協和音でもエキセントリックでもないから危険

現在中2の娘が一時不登校だった頃にハマった欅坂。

サイレントマジョリティの歌詞と、センターの子の目ヂカラとキレキレダンスに、私も目を奪われた。

娘が「てち」に執心し、学校に戻ってからも、友達と欅坂乃木坂を歌い踊り、なんだか楽しそうだから、ほっといた。

私もかつて陥った、もしかしたら今で言う「厨二病」ちっくな歌詞は、思春期の女子の胸に刺さりまくるんだろうなあ、と微笑ましく思っていた。

 

一昨日の不協和音は、「可愛い顔に髪がかかりすぎで残念だなー」くらいにしか思わなかったけど、昨日のエキセントリックは、娘の前で堪えきれず吹いてしまった。

絶対娘に「てちを笑うな!」と怒られると思った瞬間、娘も吹いた。

 

やりすぎだ。あんまりだ。

 

彼女たちは、きれいに調和して、あの孤独な歌詞と、短調の曲を、奇抜な振り付け(同世代ファンが笑うほど)で踊っている。

練習にしてもうんざりするほどこの曲を聴いて、踊って、この踊り変すぎる、という気持ちもぶっ壊されてしまっているんだろう。

まだまだ思春期の彼女たち。

お仕事だと割り切っていられるならいいけど、染まって病まないか、心配になる。

不協和音は既に完コピしているっぽい娘も、エキセントリックはまだ踊り出していない様子。

 

余談だけど私は、マジすか学園時代から、珠理奈ちゃんと、あんにんこと入山杏奈ちゃん推し(切られてもやめずにいてくれてありがとう)で、ここ数年は咲良ちゃんが可愛くて仕方ない上に、元黒ロリだったこともあり、願い事の持ちぐされ が、ツボで仕方がない。さしこが総選挙で言ってたけど、もう少し坂に負けないでいてほしい。個人的には。あと、総選挙負けて、まゆゆの顔がなんだか優しくなったなあ。

 

本題から完全にそれた。

救えない10%に幸せになって欲しい

タイムラインには、「がんは検診より予防が大事」が飛びかってて、げんなりする。

がんは基本生活習慣病なのでそんなことは当たり前で、そういうことばっかり私たちは仕事にしてて、そんでもがんになるから、検診を勧める。

検診行って良かったーって安心すればそれで終わりの人が多すぎるとか言ってるけど、行かないよりは行って安心した方がいい。行って見つかって治療が間に合えばそれでいい。

がんは予防できるものもあるよ。体質も遺伝もあるよ。原因があるものもあるよ。でも、ない事もあるよ。

ざっくり言うと、今年のがん検診の勧奨では、「90%のがんが、早期発見により治ります」って話してるけど、10%は治らないんだよ。

それでも90%の人に治ってもらうために、仕事をしてる。

でも、そもそもその100%にならないように、仕事をしてる。がん検診の勧奨は仕事の一部。

そして、私に救えない10%の人たちは、本人と家族と医療者の役割。今は臨床にいないけど、残された家族の側には、私たちの仕事もある。

そして、100%に入らないがん患者さんが、できるだけ少なくなるように、私たちはがん検診を勧める。

 

私の祖父が2人。

私の祖母が2人。

友だちが5人、お世話になった先生4人、病気がちな私に、手作りの野菜でご飯を食べさせてくれてた大学時代の寮の大家さん、みんな、がんで亡くなった。子ども時代に亡くなった人もいる。

 

親戚は上が70代から下が14歳、全部で4人が闘病中。

大切な親友、憧れの上司、大学の恩師、子どもを世話してくれた教会のおじいちゃん、生きてて良かったと思う人たちがたくさん、がんサバイバー。

 

がんの何がわかってて、検診より予防が大事の記事がリツイートされまくってるのか、と言いたくなる。今、まさに、病気と闘ってる人たちに失礼だ。予防できなかった自分が悪いとでも言いたいのか?とも取れてしまう。国民病のがんの既往歴がある人なんて、言わないだけでたくさんいるのに、その人たちを責めてるみたいで、腹立たしくもある。

みんながみんな、喫煙者で食品添加物にまみれてるわけじゃない。

この話題の中、検診を受けに行こうと思った人たちを、安易な考えだと冷めた言葉で切り離す必要性がどこにある。

 

「看護師だったら、見ときなさい。」

亡くなる半年前、祖母はお風呂場で、ナースになったばかりの私に、ストマ(人工肛門)の交換を私に見せて、やらせてくれた。

何度も手術したけど、腹膜全体に転移したがんは、真っ白な雪の日に、祖母を連れて行った。

仕事を辞めて祖母に付き添っていた私は、祖母のストマの最後の手入れをして、綿で埋めた。

料理の上手な祖母だった。海の幸も山菜も、祖母はなんでもご馳走にした。

私は祖母に料理は何一つ習わないまま。ストマのケアだけを教えてもらった。

もう1人の祖母は、母が14歳の時に、4人の子どもを残して、やはり、がんで亡くなった。

 

このブログ、プライベートを書くつもりで始めたのに、仕事のことばっかり書いてる、私。

こういうのを、職業病というのかな。

 

オレンジジュース色の夕焼け

小林麻央さんが、亡くなってしまわれた。

 

昨日、育児講座のお仕事。
イヤイヤ期の対応と、もう一個のテーマは、女性がんの検診啓発。
子どもの小さいお母さんたちに、乳がんの自己検診の仕方を教えて、市の健診の受診勧奨を、丁寧に心を込めて話す。
お母さんが元気でいることが、1番大事なんだよ、って。

そんな日の、できごと。

私がそんな縁起でもない事喋ったりしてたせいで、小林麻央さんが亡くなってしまったんじゃないか、とか、わかっちゃいるけど脳がブレブレになってしまってる。

 

全然関係ないけど、昨日仕事中に、たまたま偶然1人の命をとり止めるのに間に合うことができたらしくて、
朝一番に、「おかげで、助かりました!ありがとうございます!!」って電話を受けたとこだった。

 

小林麻央さん、ありがとう。

昨日、私と話した20人のお母さんたちは、きっと検診受けてくれると思います。

 

バラバラな私。

 

f:id:hime3to3:20170623184740j:image

保健師の仕事は誰にでもできる

保健師は名称独占。

保健師」の名を使って業務ができるのは保健師だけ、ということ。

でも、その内容、フタを開けてみると、別に資格なんていらない仕事ばかり。

健康教育や相談、保健指導、地区分析。

医師でも薬剤師でも理学療法士でもできる。

体操教えるのがもっと上手な人、講話がもっと上手な人、コンピューターでの統計処理や分析ができる人、むしろ無資格の人の中にたくさんいる。

だから、私は保健師の仕事なんてペテン師の仕事だよねー、と思っていたりする。

効率よく、効果的に、エコに仕事できる方法がいっぱいあると思う。

保健師だというプライドを持って仕事しろ、とか言ってる時点で非効率で、時代遅れだと思ってしまう。

 

私によく、人との距離が近いことを注意する人がいる。

私には、全然その感覚がわからない。

だって、ボディメカニクス、患者様との距離が近ければ近いほど、お互いの負担が少ない。支点力点作用点の距離。

だから、車椅子に乗せるとき、体位変換するとき、患者様と密着すればするほど、相手の危険も少ないし、自分もしんどくない。

 

私は、思う。

保健師が大切なのは、そもそもナースであることじゃないのか?

辛い実習や汚いバイトや過酷な現場で、人との距離感をぶっ壊され、物理的にも心理的にも密着するのがナース。

ぐちゃぐちゃな現場に、真っ白な白衣で現れ、笑顔で人と触れ合うのがナース。

 

保健師の仕事の中で、保健師以外の人材に譲れないものがあるとすれば、それは、「そもそもナースであること」じゃないかと、私は思ってる。

だからこそ、看護師免許を取得していることが保健師の必須条件になったと、勝手に思ってるけど、

「私は保健師で看護師じゃない」と思ってる人に意外に出会う。というか、大半そうみたいに見える。

 

ナースキャップが無くなっても、普通の服を着ていても、歳を取っても、私は「白衣の天使」で、いたい。

手を触れ合える位置で、抱きしめられる位置で、いつでも私に危害を加えられる距離で、いつでも相手の命を救える距離で、私は居続けたい。

5月29日の誕生花はツメクサ

お誕生日おめでとう。私。40歳。

日本の国では誕生日の前日に年齢が一歳増えるので、正確には、前日に40歳になりました。

職業病ですが、40歳は、保健師にとって、驚異の歳です。

今は亡き、「老人保健法」によると、40歳から老人、扱いだからです。

法律が変わり、今は介護保険の支払い義務が発生しますが、それ以外も老人保健法の名残で、たくさんのがん検診の対象となってきます。

メタボの特定保健指導も、40歳から。

私はとうとう、老人になってしまいました。

 

昨日は、高齢者の教室で、「高齢者って何歳からだと思いますか?」と問いかけ、答えは今は65歳なんですけど、

心の中で、「でも、私も今日から老人。。」とぐるぐる思いながら高齢者の健康について話をしてました。

 

話は変わりますが、私は約10年前から四葉のクローバーの栽培を始めました。

初めは、よくある、四葉のクローバー栽培キットから。

今ではベランダガーデニングに逃避する私ですが、実はそれまで、「土を触ること」ができませんでした。

30歳で離婚して、小さい子どもを2人抱え、知らない土地に引っ越し、不安ばかり抱えながら、保育園が開門するまでの間、子どもと地べたに座り込んで、よく四葉のクローバーを探していました。

ある日、「下ばかり向いていても、本当の幸せは見つからないに決まってる」と思い、幸せを自分で育ててみようと思いました。

あれから10年。

今は9種類の四葉のクローバーを繁殖させ、株分けもお手の物、「探さなくても幸せはここにある」を、実現しました。

当たり前に幸せがあると、それは希少だと感じることも少なくなり、時々世話を忘れて枯らしてしまったりもします。

でも、次の春には反省して、苗を作り始める、そんな感じでベランダに布団が干せず家族から苦情が来るという日々を送っています。

 

四葉のクローバーの花言葉は「幸運」ですが、シロツメクサ花言葉を知っていますか?

私も実は最近知りました。

私の誕生日の花のシロツメクサ花言葉は、

「復讐」だそうです。

 

The best revenge is to live well.

最高の復讐は幸せになることである。

 

スペインのことわざだそうです。

 

いろーんなことがあった人生でした。

いっぱい泣きました。怒っても口にできませんでした。生きることで精一杯で、恨む暇も嘆く暇もありませんでした。

乗り越えてきたけど、幸せと思って生きてきたけど、癒えない傷は、あって。

 

今更復讐とか、もはやどうでもいい部分はあるけど、精一杯幸せであろう、と、ベランダのツメクサ達に誓いを立てる今日この頃です。

 

人生、半分生きました。

これから先は、新しい自分。

朝起きたら、オギャーって生まれて、

作り上げてきた幸せに感謝しながら、新たな人生をスタートします。

過去は、御守りに。

相変わらず、夢を追いかけて。

 

5月29日、幸福の日。